AIブームのおかげで、いよいよ心とは何か、の研究が加速する予感

このブログを書いている2018年7月時点の AI ブームは "弱いAI" という、ある領域に特化した AI の研究開発を加速させています。画像や音声の認識などでは、強化学習によって人間を超えるほどの能力を持つようになってきました。

一方で2045年に到来するかもしれないシンギュラリティは "強いAI" を想定しています。人間を超えるかどうかが注目されていますが、ここで避けられないのは心(もしくは意識)の扱いです。強い AI は心を持つことになるのか。今後の AI 研究に対する莫大な投資のおかげで、人類がこれまでずっと疑問として持ち続けてきた「心(意識)とは何か」という領域に踏み込むことになるはずです。

この研究には多くの切り口があります。私が興味を持っているのは、オーストラリアの哲学者デイヴィド・チャーマーズが提示した「意識のハード・プロブレム」です。

意識のハード・プロブレム - Wikipedia

物質および電気的・化学的反応の集合体である脳から、どのようにして主観的な意識体験(現象意識、クオリア)というものが生まれるのか

不思議ですよね。もしこれが細胞(もしくは分子)の量だということになれば、大量のデジタル素子を結合することで意識現象が自発的に生じるのでしょうか。量は質に転化する…? おそらく他の動物にはなく、ヒトだけがもっている「私はなぜ私を認識できるのか」を思考できる心(意識)を人工的に作れるのであれば、強い AI は現実化する可能性が高くなります。

ただし心が何かを知ることができなくても、AI の開発を進めることは可能です。そうすると今度は、高度に発達した(ヒトモドキの)AI が登場するのでしょう。この AI は「哲学的ゾンビ」なのか、という、これまた興味深いテーマがでてきます。

哲学的ゾンビ - Wikipedia

「物理的化学的電気的反応としては、普通の人間と全く同じであるが、意識(クオリア)を全く持っていない人間」と定義される。

意識をもたないが人間と同じように振る舞う、つまりチューリングテストはパスする、という AI が登場したとき、これは社会のどういう分野で活躍してもらうのがいいのか、も議論になるでしょう。

いずれにせよ、心(意識)とは何か、が多くの人の話題になるはずです。そこで私としては議論がさらに進むことを期待してしまいます。それは「心の正解」もしくは「理想的な心」とはどういうものか、です。もし心を人工的に実装するなら、悪人ではなく善人の方がいいわけで、そうすると実装すべき心のあり方の目標をどこにおくか、という話がでてもおかしくありません。

ここからは妄想ですが、この段階では東洋哲学が注目されるのではないかと思うのです。具体的にはインドで生まれ、中国を経由して、日本中の誰もが知っている「悟り」という概念です。

私も悟ったわけではないので、これについては研究の道筋を予想できません。そもそも悟ったということ自体、言葉で説明できるものではないということなので、数値化することも難しいでしょう。それでも、理想的な心の状態とは何かを考えた時、悟りに至った心の状態、を研究対象にするところが現れても不思議ではありません。

いよいよ西洋哲学(世界の外に目を向け、世界をつくっているルール = 真理を求める)と、東洋哲学(世界の内に目を向け、理想的な心のあり方 = 悟りを求める)をまとめあげることが時代の要請となるのかも...と思うと、いい時代に生を受けました。これまでは主に哲学者の領域だったと思いますが、これに数学、生物学、心理学、そしてプログラマを巻き込んだ大きな議論になるのでしょう。それだけのインパクトが「強い AI」にはあるように思います。

ところで「心」を研究対象にしたとき、マウスを使った実験はできません。もちろん人体実験できるわけでもなく、そうすると多くの「心とはこうできている仮説」が登場し、その仮説にもとづいた工学的な実装としての AI 研究が盛んになるという考え方もあります。強い AI をつくるための「初期OS」と「学習方法」が提案され、適切な学習によって(外からみたとき)心をもっているようにみえる AI の開発に着手する… その研究成果の一部は AI ではなく人間にフィードバックされ、教育やカウンセリングへの応用といったことも期待できる可能性があります。いずれにせよ、今後の "強い AI" の研究は哲学がはずせないことと、また哲学領域の研究成果を糧とした、全分野にまたがる壮大なプロジェクトになるのではないかと期待してしまいます。