堺屋 太一先生の講話 (1)

定期的に開催されている沖縄での経営塾に参加しています。昨日(1/20)は元・経済企画庁長官の堺屋 太一先生のお話を伺いました。
沖縄海洋博に関わられたということで、復帰当時の沖縄の状況をうかがうことができ、貴重でした。印象に残った点をメモします。

  • 復帰後は多くの学者が「沖縄の人口は減る」と予想していた。復帰当時の人口が96万人だが、雇用を考えると適切な人数は40万人と試算されていた。そこで当時の官僚の成功指標の一つは、どうしたら一定の所得水準で人口を減らさずに食べていける島にするか、であった。
  • 平地も乏しく、水源も乏しく、電力事情も悪いという環境から、沖縄経済の柱は観光になるという目標を早くから立てていた。しかし航空運賃の高さ、ホテルの少なさ、インフラの弱さから、専門家の意見は否定的であった。当時の沖縄観光の実績は 24 万人程度で、主流は戦跡巡り。ただし戦跡巡りだけでは大きな発展は見込めないと判断されていた。そこで米国の著名なプロデューサーに「10年で10倍にするための方法」を伝授してもらった。曰く「歴史」「物語」「音楽と食事」「ショッピング」「サイトシーイング」「カジノ」、この 6 つの要素のうち、3 つを押さえれば 10 倍は可能とのこと。そこで最初の 3 つとして「物語」「食事」「サイトシーイング」に絞った。「歴史」はあえて捨てるという判断を下した。
  • さまざまなアイデアの実行:篠山紀信先生に沖縄の海を撮ってもらう。琉球舞踊をホテルで披露してもらう。航空会社にアピールする。「19の春」を本土のメジャー歌手に歌ってもらう。プロ野球キャンプを誘致する。こういうことの積み重ねが今の観光・沖縄をつくった。

観光の島というイメージを定着させるためには、一朝一夕ではない、ということがよくわかりました。