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東証の新システムが教えてくれること

少し時期外れのネタですが、東証の新システムについてです。
arrowhead という名称も刺激的ですが、Linux ベースで最高レベルのトランザクションを達成と、技術的にも素晴らしい内容になっています。

しかし、このシステムは私に、「またか...」という残念な気持ちを思い出させるものでした。
それは何かと言えば「お客様は痛い目に会ってはじめて、真剣にシステム開発に向き合う」という事実です。

新システム開発を決断させたきっかけは間違いなく、あの誤発注事件でしょう。システムを発注する側に仕様策定と検証の責任があることを改めて浮き彫りにした結果、最高のシステム開発に結びついたのは、ある意味で皮肉なことです。しかし、類似の話は未だに消えることはありません。

なぜ、このような話がなくならないのか。それはシステム発注側が「仕様を決めずに金額の上限だけ決めて発注し、あとは丸投げ。仕様追加も金額アップは行わない。」という立ち位置を譲らないため、と考えています。そこには、開発者は「業者さん」が行うものであり、「一緒になって、より良いシステムをつくっていく」という気持ちが込められていません。システムは自分たちで使うものなのですが、ヒトゴトなのです。

そこでふと、同じような構図が他にもあることに気付きました。それは「子育て」です。

私の娘が通っていた保育園は、「親が子供を預けっぱなし」という態度を許容しませんでした。子供を育てるのは親であり、保育園はそれをサポートするというポリシーを貫きました。おかげで、子育てを楽しめたと実感しています。単に預けるだけでは、このような満足感を得ることはなかったでしょう。

システムも同じです。自分で使うわけですから、子供のようなものです。しかし実際は業者任せ(保育園任せ)で、自分の子供という自覚が不足しています。他の仕事が忙しく、システム開発(子育て)は自分の仕事ではない、という気持ちが根底にあるのでしょう。しかし、そのツケは必ず回ってきます。言う事を聞かない(仕様通りに動作しない = 実際には、曖昧な仕様に問題があるのですが...)場合、業者のせい(保育園のせい)になりますが、そこに自分の子供、という当事者意識はありません。

その子供が社会に迷惑をかけ、裁判所が「親にも一定の責任がある」と指導してはじめて、真剣に子育てに向き合うというのは、やはり残念なことです。

どうすればこの悪循環を断ち切れるのか。私の気持ちは、親にも言うべき事は言い、親と一緒に子育てを行う雰囲気を見事につくった、この保育園のような SIer になりたいということです。ちなみにこの保育園は評判が評判を呼び、今では入所したいという家族が列をなして待機しています。ジャスミンソフトもこのようになりたいと思います。

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