沖縄から世界に通用する IT 企業を出現させる

今週も、沖縄県内外の IT 企業経営者の方々と親睦会がありました。そこで改めて感じるのは、同じ IT 企業といっても、経営方針は多種多様であるということです。

  • 多くの県外企業は、沖縄県は「若くて、優秀だが、仕事がないと困っている求職者が多いので、安価な給与で働いてもらえる」環境であると期待されている。この発想は沖縄オフショアにつながっていく。
  • オフショア指向型は景気の影響を真正面から受ける。製造業への技術者派遣などはすぐに帰されることになる。これに打ち勝つには、さらに人件費を安くして他社と競争するしかない(と考えられている)。
  • よって企業誘致は、沖縄県の人件費の安さをアピールすることになる。雇用増大を優先させることにより、おのずと個々の給与は上げにくいという構造をつくっている。自縄自縛ともいえる。
  • 技術者の質で勝負しようとしても、そもそも沖縄県内で高給を出せる発注企業が存在しない。彼らはおのずと県外(国内、海外)へ出て行く。
  • 給与をオフショアほど低くもなく、かといって高給でもないという層を地元に維持するためには、安定した業務を継続受注する構造が望ましい。そのため老舗企業は自治体や銀行系を顧客とすることになる。そこからはイノベーションが生まれにくい。
  • 研究開発型企業がないわけではないが、これらの企業がシーズをもち、商品化し、そこから販売網をもてるまでには数年から十数年を要する。多くのベンチャー企業にとって、この期間はリスクであり、常に倒産の危機と背中合わせの経営になる。社員より先に、経営者がもたない。(企業経営安定化のため、従来型の受託・派遣をやらざるを得ないが、同じ会社に違う文化を棲み分けることになり、社内調整が難しくなる。これを嫌って研究開発部門への投資は増えにくい。)
  • 研究開発型企業は雇用に貢献しない。大量採用をしないため、雇用に関する県内の助成金制度は意味をなさない。
  • 仮に研究開発型企業が成功のきっかけをつかむと、東京へ引っ越してしまう。地元に残らないというジレンマを抱える。

それでも私は「地元に残り続けながら、世界に向かって自社製品・サービスを提供する企業」を生み出すことが、沖縄県の IT 業界が持つべき目標であると考えます。

人件費の安価さを勝負どころにすると、価格は世界規模のグローバル競争によって、もっとも安いところに収斂します。国内オフショアという特異な領域は残る(発注先の選定理由が国内であることを重視する企業がある)でしょうが、そこで働くのが日本人とは限りません。農業分野で事例がありますが、研修や OJT の名目でアジア各国からの若手技術者を受け入れるというところまで進むでしょう。地元人材の雇用を保証するものではありません。

では世界に向かって自社製品やサービスを提供する企業を生み出すにはどうすればいいのか。

先日、国内パッケージベンダーが集う MIJS の交流会で、サイボウズの青野社長の発言が私に響きました。要約すると

「優秀な人材を集められるかどうかが、最大の鍵」

というものです。IT 企業にとって最重要なのは人材である、まさに同感です。

人は給与の額だけで職場を選ぶわけではありませんが、世界を狙う企業であれば、「もし成功すれば多くの報酬が得られる」という夢を見ることは必要です。まだ成功していない企業(発展途上企業)が、いきなり多くの年収を出せるわけではありません。しかし、成功のための道筋と、その暁にはしかるべき報酬を出すというメッセージを発信することはできます。

しかし口でいうだけでは簡単です。では、そのメッセージを信じてもらい、優秀な人材を集める企業とは?

現時点での私の結論は、その企業の「社長の能力、人徳」にかかっているというものです。能力は開発できますし、経験が能力を補完します。しかし人徳だけは開発できません。これは哲学であり、人から教えてもらうものでもありません。部下は社長の人徳、つまり人間性を常に観察しています。信用できる人物か、をみているということです。

冒頭の「沖縄から世界に通用する IT 企業を生み出す」というテーマに対して、踏み出す第一歩は、それを担える経営者層を厚くすることだと考えます。

公共ベースの雇用創出は、予算をかければ可能ですが、予算がなくなると雇用も終わります。そこに持続性・発展性はありません。世界進出を視野に入れる経営者層をつくることが、結果として雇用につながります。そこに多額の予算投入は必要ありませんが、そのような層を社会が支持することは大切でしょう。米国のような風土にすべき、と主張しているつもりはありませんが、優秀な人材は、優秀な経営者のもとに集う、という意識をもって IT 業界の発展につなげていく視点はあってよいと思います。

翻って私自身は、悩みながら 10 年たちました。まだ揺れることが多いですが、私自身のモチベーションは、他の優秀な方々にお会いして感心し、自分もこうなりたいと憧れること。そして「絶対に諦めない」という、しぶとさをもつことで維持しているようです。