「未来を予測する最善の方法は、それを発明することだ。」は日々の生活で実践できる

アラン・ケイの言葉で、私も好きなフレーズです。何よりも、自分がやってみよう、という気概を感じます。そしてこの意気込みは大きなプロジェクトに限定されるものではなく、日々の生活の中でも実践できると考えています。

それを仮に「はったり力」と呼びます。

私の人生観では、"嘘" と "はったり" は微妙に違います。"嘘" は最初からできないことがわかっていて相手を騙す行為ですが、"はったり" には可能性に賭ける意図が込められています。もちろん、"はったり"が実現不可能になれば "嘘" と変わりませんが、最初から相手を騙すつもりがない(少なくともできる可能性があると考えた)ことは重要です。

とはいえ、ある時点で「できるかどうかわからない」ことに対して、"はったり" で回答するというのは賭けです。それが "嘘" に転じれば、信用を失くしてしまいます。リスクを避ける社会環境では、許されない行為と避難されるかも知れません。

冒頭の言葉に戻りますと、そこまでのリスクを理解して、なお "はったり" という選択ができる人が、未来を創ることができるのだと思います。もちろん、言うだけではありません。口に出した以上は、自らの全エネルギーを投入して、実現させる責任と覚悟が伴います。その勝負に勝ったものは、ささやかではありますが、未来を創ったことになります。賞賛とは、そのようなリスクと紙一重であるだけに、喜びもひとしおです。

私の業界でいえば、営業的な「できます」と、技術者の「(その条件では)できません」という葛藤は日々、生じています。どちらの立場もわかりますので、やる・やらないの判断はいつも難しいです。そのこう着状態を打開するトリガーになるのは、技術者の "はったり力" です。技術者から「難しいですが、ひとまず、やってみましょう。」という台詞(と覚悟)が出てくることで、プロジェクトが大きく動くことを何度も経験してきました。

営業は、技術者が変わる「きっかけ」を持ってきます。それを受け入れた数だけ、組織と、個人の成長があります。何もかも受け入れなさいというパワハラを支持するつもりはありませんが、それが「やらされ感」によるものではなく、「未来を創っている」という意識を持つことで、自分をとりまく世界観が変わるという喜びを知るのは、人生を充実させます。そう考えると技術者に定年はありませんね。挑戦する気持ちを持ち続けている間は、いつまでも技術者として第一線で活躍できるのだと思います。そして自分の力で未来を創ることができる、いい仕事です。