2012年巻頭のブログ:現代における「人間の仕事」とは何か

新年明けましておめでとうございます。今年最初のブログは、IT 化によって変わりつつある "人間の仕事" について私の考え方を述べることから始めます。皆様、本年もどうぞよろしくお願いします。

背景:政治レベルで解決できない雇用問題

私は創業以来、"自動化" をキーワードにしたビジネスを行っています。ところで自動化の範囲を広げることで、人間の仕事が失われるのではないかという質問を頂くことがあります。しかし自動化できる仕事とは機械が代替可能であることから、そもそも人間がやるべき領域ではないし、また何もかも自動化できるわけではありません。そのようなことから、私は常々、現代とくに先進国における人間の仕事とは何か、を思索してきました。

もう一つの視点は、私が住んでいる沖縄県の雇用問題です。出生率が高く、外部からの流入も多い沖縄県の人口は140万人を超えました。しかし若年者(15〜29歳)の完全失業率は11.3%と全国の倍近くあり(平成22年11月時点)、仕事を生み出すための企業誘致が重要な政策課題となっています。

沖縄県が1998年にマルチメディアアイランド構想を立ち上げ、IT関連企業の誘致を強化したところから、コールセンターを中心とした雇用は着実に増加しました。2002年時点で、2万人を超える雇用を支えています

しかし、この政策による限界も指摘されています。誘致企業に対する満足度調査では常に "人件費の安さ" が評価されています。アジア諸国全体で市場が統合されていくという時代の中、いずれの国も IT 産業に力を入れており、沖縄の人件費優位性は相対的に低下し続けています。これに対抗するため県内の給与水準を上げることもままなりません。つまり大量雇用を生み出す IT 産業は、給料が上がらない(どころか、最終的にはアジア全体の給与体系に落ち着く)という構造になっています。IT 産業以外でもこのような動きは顕著であり、これは先進国においてモノやサービスの価格が安くなるというメリットと、"労働力"に対する給与が下がるというデメリットの両面をもたらしています。昨年は多くの先進国で、若者の失業対策がクローズアップされました。しかしこれは各国政府による制度の変更で解決できる問題を超えた、大きな流れになっています。この点については「Chikirinの日記 - 「先進国生まれ」という既得権益を守るためのデモ」の指摘が秀逸です。

コンピュータの登場による "自動化"と、平和の配当ともいえるグローバル経済によってもたらされる "給与の平準化"。先進国に生きる私たちは、この二つの流れを意識しながら "人間がやるべき、人間にしかできない仕事" を認識することが求められています。

先進国が担うべき仕事とは何か

ところで "作業" からの解放は、本来、喜ぶべきことでもあります。それによって生み出された "時間" を、本来やるべきところに費やすことができるからです。よって必要な議論は「作業を人間の手に戻そう」ではなく、「人間が本来やるべきこととは何かを考えよう」です。(自動化できること、あるいは、より人件費の安い国で代替できることを補助金や税制を使って先進国で行うという発想は流れにさからうことなので、ここでは議論しません。思考を先に進めます。)

私は、人間の仕事とは "創造" であると考えます。今までにないものを造り出すことです。これは必ずしも芸術分野に限定した領域ではありません。ビジネス世界における創造とは、すでに知られた技術・アイデアを組み合わせ、そこに独自の視点・解釈を加えることです。インターネットはこの可能性と実現スピードを大きく広げました。今や全業種、全分野において、創造性こそが差別化戦略の根本であり、これを追い求める活動が人間の仕事になっています。例えばアップル社は、製品の企画や設計、マーケティングに注力し、製造および販売は外注しています。彼らのビジネスの強みは創造性を生み出す基盤にあります。

しかし創造性というと、多くの人は「私にはそんな能力がない」と躊躇してしまいがちです。そこで、もう少し噛み砕いていきましょう。創造性の原点は "表現力" にあると考えています。表現の手段には絵や音、言葉や図といったものがありますが、これらは "どう表現するか" という能力です。その前に、"自分は何を表現したいのか" ということ、つまり(現時点における)自分の意見を持つ、ということが必要です。これは多くの知識を土台にしながら、自分の考えをまとめることであり、ここが出発点になります。

振り返ってみると、"学力" とは、"自分の意見をまとめあげる力" のことと言い換えることができます。受験時代はパズル問題を解いたり、地名や年号を暗記することが求められていました。これは学力の一部ですが、何のために学んだのでしょう。その能力を使って、社会が解決すべき諸問題を理解し、これに対する解決策を生み出すためです。つまり "意見" には、"問題を理解し、解決策を提示するまで" が含まれています。権威や制度に盲従したり、感情で判断することではありません。

この力は、先進国に生きる市民がもつべき基礎的学力といえます。多くの意見を集約し、そこから社会のコンセンサスを得るための仕組みがソーシャルネットワークの姿であり、今まさに、その形ができつつあります。インターネットからソーシャルネットワークへの進化は、先進国の社会構造を変える原動力となっており、その流れは歓迎できるものです。

そして人間が本来やるべき仕事とは、これらの課題を "解決" する方向に力を注ぐこと、です。課題の解決は簡単ではなく、そこには創造的な発想力が求められることでしょう。その解決の手段として自動化や、安価な労働力を組み合わせることで経済的合理性を得るのが、先進国が目指すビジネスモデルです。その視点に立ったとき、仕事とは必ずしも組織への就職を意味しないことも見えてきます。

会社員が社会の大半を占めるという時代の終わり

戦前は軍隊が雇用の場でした。戦後は大量生産・大量消費を支える企業連合(大企業と下請け企業)が雇用の場でした。そしてこれまでは個人の表現力が求められる機会は限られていました。いずれもトップの号令に忠実な現場という図式です。

しかし今後は一人一人が表現者であり、個人のつながりによるネットワークが社会を形成していくようになります。そこでは組織に入ることが必ずしも社会人としての生き方ではなく、さまざまな表現活動を通して社会とつながっていくというスタイルが認知されていくでしょう。社員という枠組みを超えた企業との付き合い方があり、それを許容する社会へと変容することが先進国で求められていると私自身は考えています。

従来の雇用問題は正社員になることを重視していました。しかし会社に所属しなければならないという考え方を前提としなければ、雇用問題そのものがなくなります。代わって、自分が何かと関わって生きるという生き方を支援する枠組みをつくることになるでしょう。本質的には、そうあるべきと思います。究極的には一人一人が社長であり、何かの目的(課題解決)のために集まって仕事ができるようになる社会に成長の可能性を感じます。

スキルを磨くよりも、自分の意見をまとめてみよう

就職活動を有利に進めるために資格をたくさん持つという発想はわかりやすいのですが、私なら数多の資格を持つ人よりも、一つの問題に対して自分の意見を言える人、さらにいえば反対意見を持つ人を説得できるだけの材料を持ってプレゼンテーションできる人に人材的な価値を感じます。

例えば原発問題、TPP 問題、年金問題、消費税問題、沖縄の基地問題。いずれであっても自分はこう考えるという意見をまとめてみるのは良い練習です。最初はそこまで大きなテーマでなくても、自分の所属する、または興味ある業界に限定してもよいでしょう。将来のことを鑑みて、我が社は、この業界は、日本は、世界はこうした方がいいという "意見" をまとめること。企業にとって、そういう判断を的確に行え、課題を解決できる視野をもっている人材が宝です。そして多くの宝をもった国が、最終的には地球全体のリーダーシップをとることにつながります。国力とは人口や経済力、軍事力ではなく、問題解決能力のある人材を数多く輩出する力、になります。

まとめ:雇用問題は単独で切り離すテーマではなく、国(県)の成長戦略の中で語る方がいい

長くなりましたが現時点での私の意見をまとめます。一時的な雇用の場の確保は短期的政策であると割り切り、目前の数字の変動に一喜一憂すべきではないし、それを政治家の選挙の道具に使うことも自粛した方が良いと思います。そのために過去、どれほどの無駄な投資(選挙対策)がなされたか。一時のばらまきによって瞬間的に失業率が改善しても、持続性はありません。そのばらまき財源を、すべて子供達が支払うことにしたという無節操さも含めて、見直す時期です。

雇用問題の本質的な解決は、先進国に生きる人間がやるべき仕事を捉え直し、その課題解決の能力をもった人材を育成することです。むしろ今まで以上に単純労働を減らし、余った人材をこれまで手をつけることができなかった諸問題の解決に投資するという政策が有効だと思います。一時的には産業構造の転換による混乱があるでしょうが、ここから必ず新しい成長企業が誕生します。

まとめます。雇用問題の解決には、一時的な雇用の改善ではなく、やるべきことを示してそこにお金を投資することです。そこに新たな成長の場をつくり、人を育てます。その経験・ノウハウを外部に展開することで、持続的成長につなげていきます。誰もやっていないときに、誰も手をつけなかった問題に正面から当たるとき、人間のもつ創造的な能力が最大限に発揮されます。時間はかかるでしょうが、大切なことなので「急がば、回れ」の精神で臨むことを期待しています。