沖縄の本土復帰40年の節目に、経済的自立について考える

1972年5月15日が沖縄が日本に復帰した日ですが、私が家族ともども沖縄に移ったのが復帰翌年となる1973年。生まれは違いますが4歳から沖縄に住む身なので、私のアイデンティティは沖縄にあります。

さて今週はニュースで報道特集が組まれていますが、目にとまるのが「復帰から今日まで投下された振興予算は総額でおよそ10兆円」という数字です。ここでは沖縄タイムス社の記事を紹介します。
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2011-05-04_17367/

私の関心毎は学生時代から今も「補助金なしの自立的経済基盤の構築は可能か」にあります。また、この10兆円のうちのほんの一部ではありますが執行に関わったこともあるので、その体験も踏まえて自立に向けたロードマップをどうするか、考えてみます。

10兆円の地元効果は実際のところどうなのか

私はもちろんすべての事業を知っているわけではありません。あくまでも自分の見聞した範囲での解釈です。

霞が関で決まる予算は、計画と設計は本土大手企業、施行とその後の運用は地元という暗黙の合意があります。(これは沖縄だけでなく、すべての地方でおおむね、そうなっているのではないかと思います。)つまり、チャレンジングな裁量の余地は、沖縄にはほとんどない、ということです。

よく言われるのは「予算の地元での執行率」です。仮に本土企業と地元企業の配分率が50%ずつだったとします。ここで私は「50%もあればいいではないか」「いやもう少し地元の配分を増やして欲しい」 という議論に興味がありません。重要なのは比率でなく、計画策定に関われるかどうか、だと思っているからです。

地元への配分は、直接的な雇用に貢献します。よって地元企業は設計図を渡され、これを忠実に施行する能力を身に付ける機会を得られました。しかし、この現場対応能力(つまり技術者)をどう使うかという企画力、発想力(経営でいうところの、新事業立ち上げ)を磨く機会はこの40年、どれほどあったのかが疑問です。そして、この部分こそが自立の鍵を握る核心ではないかと思っています。

なぜ計画・設計部分は沖縄に任せていただけないのか。発注側は国の予算である以上、失敗していいことはありません。プロジェクトを成功に導くノウハウを有しているのは東京に本社を有する大手企業だと思われています。よってここに発注するのは至極当然となります。地元企業の明らかな能力不足を知りつつも、発注するようなリスクは負えないという理屈です。

では沖縄の企業に企画立案から予算執行を任せ、開発に本土企業を使うという逆転的なプロジェクトはできないのでしょうか。

実は私は過去に、そういうプロジェクトに関わったのです。これが成立したのは、当時の政治的背景が大きかったです。受注後の逆風はものすごく、多くの識者が「あれは失敗するよ」と吹聴しました。同じ沖縄県内の人からもそのように言われたことは少なからずショックでしたが、なにくそという気持ちになったことも確かです。

たった1年のプロジェクトでしたが、その成果は上々でした。その後はしばらく「沖縄のプロジェクトの成功例の一つ」として霞が関にとっての視察の対象となりました。そのときに携わった多くの開発者そして大学の先生方が自信を持ちました。当時、かなり野心的な取り組みにチャレンジした結果、世界トップレベル層と人脈をつくり、対等に話ができるようになったのです。

残念ながらその取り組みは(良くも悪くも)特例で、その後、舞台は沖縄から移りました。しかしその時の成功体験が地元でいくつかの新しい取り組みにつながっていきました。

この経験から、振興予算は総額や地元執行率ではなく、地元企業が計画の主導権をもったかどうか、こそが重要だと考えるようになりました。しかし話はこれで終わりません。

計画の主導権をもちたがらない地元企業

問題は、計画立案を避けようとする地元企業の姿勢にあります。リスクを取りたくない、もし失敗したら大変だ、という言い分はビジネスチャンスを逃します。これは例えば大手企業が「我が社の発展に寄与する革新的な IT の提案を募集します!」とアナウンスしても、やはり手をあげないということです。下請けに徹すればローリスクで、手堅い利益もあるでしょう。しかし大きく成長することもないわけです。

代わりに地元企業が求めるのが「下請けの金額配分を高めて欲しい」であるとするならば、およそ自立は遠くなるのは必定です。それを発注側(政府予算)が認めてしまえば、ますます競争力のない保護産業となり、補助金漬けになります。

つまり発注側(政府)も受注側(沖縄県内企業)も、リスク回避という点でつながっているのです。しかし自立とは、リスクをとってチャレンジすることでしか可能性は開けません。この状態で金額の多寡だけを話しても、結果は出ないというのが私の認識です。

次の振興策のテーマを「ソフト面の充実」としても本質はどうか

これまでの沖縄振興策は道路や空港、港湾設備といったハード偏重であったということを踏まえ、これからはソフト面の充実を図ると聞いています。しかし本当に議論すべきは沖縄の経済的自立の目処を立たせることです。ソフト面の充実化というのは向かうべき方向性であり、その点に異論はありません。そこに地元企業への投資(保護ではない)と、そのリスクを関係者で共有しつつ、失敗しても再チャレンジできる枠組みをつくり、県外・世界へ打ってでる起業家を輩出していくというストーリーが土台になるべきです。

総合企画を大手コンサル会社に立案してもらい、その中でもっともリスクの少なそうな、地元企業の現在の技術レベルですぐに着手できるテーマを選んで予算をつける... では、もう芽が出ないことはわかっています。繰り返します。このような無難なアプローチでは、芽が出ないどころか、予算の無駄遣いと言われかねません。

本土復帰から40年の節目に、これまでとまったく逆のアプローチで新たな沖縄振興策を進めていってほしいと願っています。チャンスがあれば、これを活かせる県内企業は必ずあります。