"バブル" も "デフレ" も経験した日本人が切り拓く、先進国の未来像

先日、テレビ東京の番組「久米宏SP 実は日本人はデフレが大好き」を観ました。
http://www.tv-tokyo.co.jp/kume-keizaisp/

100円ショップのアイテムを組み合わせて豪華なインテリアをつくったり、安い食材でレストランに近い味を出したりという主婦の神業を紹介するなど、娯楽性の高いコンテンツでした。その中でも私が興味深かったのはニトリの似鳥社長と、経済評論家の浜 矩子氏とのやりとりです。

安い製品を提供する企業哲学そのものは間違っていない

似鳥社長の哲学である「お客様は安くて品質のいいものを欲しているので、できるだけそれに応えたい」という考えに同意します。似鳥社長はその哲学で何十年も社業をすすめてきました。デフレ時代に合った企業として注目されていますが、仮にバブル時代であっても、同じ哲学で経営されただろうと感じました。

一方で浜氏の指摘する「海外生産へシフトするほど、国内産業は空洞化していく。ニトリの増収増益になっても、国全体のデフレは促進され続ける」という事実もわかります。ニトリのベトナム工場で働く人の給与は日本円にして12,000円ほどとのこと。工場を国内へ回帰させるのは難しいでしょう。

デフレ現象と、グローバル企業の登場の先にある世界

ニトリやユニクロのようなグローバル企業は国内の雇用に「以前ほどは」貢献していないという側面はあっても、世界に進出しています。これは応援したいところです。(電機、自動車、その他多くの産業がすでにそのような形でグローバル化しています。)その恩恵で市場では安くて品質のよいものが手に入る。これも本来は歓迎すべきことであり、デフレ時代であろうがバブル時代であろうが、サービス提供者にとって目指すべき姿でしょう。

問題は国内の業界構造の変化によって、仕事の内容が変わったことです。工場で働く機会が減った分の受け皿となる新しい雇用がないため失業してしまいます。失業は社会不安を増大させますので、人々はお金を使わなくなりデフレになります。先に紹介した番組でも、高所得者層がお金を使わなくなったという話がありました。

ここからどうするか。この点が大いに議論になります。どういう社会を目指すかというビジョンが問われているといってもいいでしょう。

私は工場による大量雇用を手放しても、小さなベンチャー企業を単位として世界でビジネスができる人材を輩出することに日本の未来があると考えています。今は苦しい過渡期ですが、その苦しさから行政や政治に保護を求めるのではなく、むしろチャレンジする人材を応援するような社会制度に変えていくことが長い目でみればプラスに働くという発想です。

またベンチャー企業ブームを作りたいのかと突っ込まれそうですが、ブームではなく、企業家を輩出することが普通であるという社会にすることが必要という意見です。そうして生じたさまざまな革新によって、次の経済発展が起こる。日本を、革新の震源地へ変えることがひいては世界経済への貢献につながります。人件費の安さを競うのがグローバル経済の本質ではありません。私たちにはまだまだ、できることがたくさんある、と思います。