日経産業新聞「私はあきらめない」コラムへの掲載報告

2013年6月26日付けの日経産業新聞「私はあきらめない」コラムに、当社が掲載されました。記者の井上氏は昨年、日経コンピュータで超高速開発の記事をまとめられた方です。そのときに始めてお会いしたのですが、私のことを覚えて頂いており、今回のコラム登壇を打診されました。

ちょうど来月にWagby R7 発表会も予定しているので、まるで狙ったようなタイミングでのお話がいただけたと、何かの見えざる手を感じました。一方で、タイトルが示すように、辛かった経験もつまびらかにする覚悟が求められます。それも了承の上で、インタビューに臨みました。

日経新聞社でインタビューを受けるという経験も、自分の人生で予想しなかったイベントでした。予定時間を超過して盛り上がってしまったにもかかわらず、私が語った内容をきちんと精査して、1000文字にまとめて頂けたのは、さすがです。井上さん、ありがとうございます。

創業からあっという間の12年でした。せっかくの機会なので、インタビュー記事に補足する形で、振り返ってみます。

"グーグルマップに完敗" で GIS 事業の縮小へ

ジャスミンソフトは当初、GISを社業の基盤にしたいと考えていました。創業前(前職)に国のプロジェクトで「これからの」GISというものに関わることができ、東京大学をはじめとする多くの研究者との交流を通して、ビジネスの青写真も描いたつもりでした。実際、創業から最初の3年は絶好調ともいえる決算で、GIS関連分野で4本のパッケージを開発していました。現在主力となっている Wagby は、そのうちの2本のパッケージの基盤として社内で活用する「オレオレフレームワーク」という隠れた存在に過ぎませんでした。

しかしグーグルマップを見た時の衝撃 ... 私たちは本当にGISに一生を捧げようと思っているのかを自問せざるをえませんでした。このマップをつくった技術者の「Web Mapping」に対する熱い思いがわかっただけに、なおさら、自分たちに同じだけの情熱はあるかと考えたのです。悩んだ末に出した結論は、戦場を変えることでした。このタイミングで会社の主軸を GIS から Wagby へ変えていきます。しかしそれもまた、いばらの道でした。

"経営難" はなぜ起こったのか

増資して得た資金を元手に2004年秋に東京に進出しましたが、まったく営業のあてもないので、わずかな可能性があれば飛び込んで説明するという、がむしゃらなスタイルでした。Wagbyの説明を行なったつもりが、いつの間にか「沖縄で受託開発を引き受けてほしい」という話にすり替わることも何度もありました。私自身、すぐにWagbyが売れるというほど甘くないだろうと思い、技術的につながりのある案件は受けていました。スタッフの多くは受託対応に時間をとられた上、さらにWagbyのバージョンアップもやらなければならないということで負荷も高まります。この中途半端な状態で売上を伸ばしてきたことが、今思えば経営難の遠因です。Wagbyを十分に成熟させないまま、会社の規模を拡大させていました。これが、わずかなほころびで一気に崩れました。

リーマンショックと東日本大震災

この二つの事件が重なったことで、当社の売上は急落しました。Wagbyは販売代理店もつき、着実に実績も上がっていましたが、一気に冷や水を浴びせられました。Wagbyはもともと新規案件で使っていただくものですので、多くの企業が「(事件により)新規のプロジェクトはいったん停止」という選択をする中、既存顧客の保守費だけでは会社が回せないことは明白でした。この時期、私は経営とは何かという答えを求めて多くの人に会いました。貴重なアドバイスもいただきましたが、時、既に遅し。これまで蓄積してきた手元資金は日を追って目減りし、時間との勝負になっていました。

私は一つの賭けにでました。不況の今こそ営業を強化しよう、とさらに借入を増やし、その資金で全国への電話営業による市場開拓を試みたのです。結果は惨憺たるもので、借入先への仁義を通すため、リストラを余儀なくされました。これは私にとっての枷として、今もずっしりと残っています。

Wagbyユーザー会の設立が転機になった

それでもWagbyの可能性を捨てきれず、記事にあるように、これまで支えてもらっていたお客様の声を聞いて、原点に立ち戻ろうとユーザー会を設立しました。スタート時に40社のご参加表明をいただくことができ、設立総会で「必ず(皆さんの声を反映した)R7を世に出します。」と約束しました。そのときに頂戴した "がんばれ" という手書きのメッセージカードが、Wagbyユーザー会Webサイトのトップ画像になっています。原紙は開発者の側に掲示しています。これが当社の再出発の原点だという意図です。

このユーザー会が、メディアの方が取材にきていただける「きっかけ」になりました。どうやって知名度を上げようかと四苦八苦していましたが、ユーザーの声が一番だと改めて気付かされました。その後は問合せも増え、黒字基調に転換できました。まだピーク時の売上までには回復していませんが、数年前の売上は受託開発の比率が高かったのです。しかし今回の挑戦は、売上の大半をパッケージライセンスで占めようという試みです。それができたとき、私たちは真のパッケージベンダーとして次のステップに進むことができると考えています。

振り返りの結論:好きなものでないと、続かなかった

事業がうまくいかないときに「それでも続けられるか?」という問いを正面から突きつけられます。そのテーマが心から好きで、必ず世の中の役に立つと信じ、このテーマと心中してもいいという覚悟がないと、継続は難しいと痛感しています。起業時は複数のテーマに挑戦しましたが、12年たってようやく「これだ」というものに絞込めました。しかし改めて、壁にぶつかっては血を流し、じたばたしては道を変え...という社歴にしてしまったと思います。それでもついてきてもらった社員、支えてくれたお客様、代理店、株主、同業の皆様、家族と、受けてきた恩を数え上げればきりがありません。途中で去ってしまった人々のことを忘れず、Wagby を本当に世の中で役立つような製品にすることでこれまでの恩に報いたい。今はそういう気持ちで来月の Wagby R7 発表会準備を進めています。