「限界費用ゼロ社会」が提示する、新秩序を考える

2016年がはじまりました。本年もどうぞよろしくお願いします。この年末・年始に「限界費用ゼロ社会」を読了しましたので、思うところを綴ります。
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(以下、私の解釈が含まれた要約です。本書では著者の主張を裏打ちするさまざまなテクノロジーの紹介と実際の動向、歴史、経済学者その他多くの偉人の視点などが盛り込まれていますので、興味を持たれた方は是非、本書を手にとってお読みください。)

本書の主張はとてもシンプルです。資本主義はまもなく、共有型経済に移行する。これは資本主義でも社会主義でもない、新しい経済体制である。その理由は、皮肉にも資本主義が究極的な勝利に向かって加速度的に進んでいることに起因します。その勝利とは、生産性を向上させ、価格を下げ続けることで、限界費用(マージナルコスト)をほぼゼロ化することです。

コストのほぼゼロ化とは、固定費は残るものの、生産に関して人間が関与するところがほとんどない、つまり人件費が発生しない状態です。企業は利益を確保できなくなり、労働の対価としての収入はなくなり、大衆の購買能力が激減するものの、ほとんどのモノやサービスがほぼ無料で入手できる社会を実現することが資本主義の勝利であり、かつ、終焉となります。

この限界費用ゼロ社会で、人類は希少性ではなく潤沢さが特徴となる時代を経験することになります。一般の福祉の増進にはもっとも効率的な状態です。潤沢なモノやサービスが、ほぼゼロで入手できるため、年収の多寡は意味をもたなくなります。そして現在ある労働の多くが失われます。(注:仕事がなくなるという意味ではありません。近未来の「文明」は、労働者をほぼ必要としない、という意味です。)

「失業」は短期的には人々を苦しめるものの、長期的には人類を労役や苦難から解放します。そのため人間は金銭上の利益にばかり心を奪われず、いかに生きるべきかといったテーマや、多くの探究的な事柄にもっと集中できるようになります。

そして、この新秩序への移行は ”加速度的” かつ “世界同時” に進みます。その理由は、テクノロジーの向上が直線ではなく、幾何級数的に発展しているためです。著者の予想では今世紀半ばということで、奇しくも近年、話題になっているシンギュラリティの到達と同時期です。

限界費用ゼロ社会が示す新しい社会像は次の通りです。

  • 所得格差を大幅に縮める。
  • 所有権が意味を失う。
  • すべてではないが、物質面での基本的欲求の多くは、ほぼ無料で満たされるようになる。
  • 大衆による生産が可能になる。(プロシューマー = 消費者が自らにとっての生産者を兼ねる)
  • 生態系に優しい形で、持続可能な社会を生み出す。
  • 人口爆発を抑える。

資本主義時代とは私利の追求に基づいており、物質的利益を原動力としていました。若者の夢は「無一文から大金持ちへ」であり、金銭的な見返りを得ることが重要でした。

新しい共有型経済では、協働型の利益に動機づけられ、他者と結びついてシェアしたいという欲求が原動力になります。「持続可能な生活の質を維持する」ことが主眼であり、若者の夢は社会的起業家になって、人類の社会的福祉を増進することです。またはプロシューマーとして活躍することです。すでに一部の若者は、その一歩を踏み出しています。彼らは大企業への就職に興味がありません。

労働は、どこへ向かうのか

本書を読みたいと思った最大の動機は、先進国全体を覆っている失業そして低年収、格差といった問題をどう捉えているのかを知りたい、ということでした。これについては次のようなヒントを得ることができました。

  • (新秩序では)世界の雇用者の半数以上が協調型コモンズの非営利部門に属し、ソーシャルエコノミーの推進に尽力している。
  • 伝統的な資本主義経済は、少数の専門職と技術職が管理するインテリジェント・テクノロジーによって運営される。

この文章についての私の理解は、技術的エリートはインフラを支える役回りとして必要であり続けますが、多くの人々は「社会をよりよくする」役割を担うようになる、というものです。それはモノやサービスの提供を支える労働ではなく、現在の NPO や NGO といった枠組みで活躍するようなイメージでしょうか。

確かに高い給与をもらっても、使い道がなければ(ほとんどのモノやサービスが、ほぼゼロで手に入るなら)あまり意味はありません。せっかくの人生を労働に費やすのではなく、他のことに使おう、と考えても不思議ではありません。そこで人は改めて、モノを所有する以外の幸せの形を探す、というストーリーはありえます。

本書では、その幸せとは何か、についての示唆も含まれています。これはネタバレになるので割愛します。

“マージナル” を意識して活動したい

仮に本書が示すような社会が到来するとしても、あと30年は移行期です。現在を生きる私たちはどのように対処すべきか、これについては私たち自身が考えるテーマでしょう。

私が念頭においているのは、変化に敏感であろう、という生き方です。

パラダイムがシフトする時代というのは、現時点で「勝者」(と思われている立場)でも、30年後はわからない、ということです。かつ、変化が加速度的に起こる、というのは未来予想の難しさを示します。そのような中で変化に敏感であるためには、自分の身を変化の最前線 - つまり辺縁部(マージナル)- に置くことで、肌で感じることが重要と考えています。

私自身の活動は、本書が示すような限界費用ゼロ化を促進する立ち位置にあることに自覚的です。それは私にとって社会をよくすることにつながっています。ただ、これまではその行き着く先が不明瞭でした。本書が示す新秩序は、私にとっては受け入れ可能な世界観でしたので、自分そして会社の役割を大局的な流れの中で位置付けられたことは収穫でした。

創業して15年、もはやベンチャー企業と呼ばれるには年数が経ちすぎており、かといって規模的には零細・小企業ではあるものの、大企業の下請け的な業務を行っていないので、この括りには違和感を感じていました。現時点では “マージナル企業(指向)” とでもいえばいいのでしょうか。しかしそれも受け入れられる表現かどうか、まだわかりません。ただ、私と同じような感覚を抱いている企業は少なくないと思うので、これを表現する適切な造語が登場すれば、私たちのような企業の位置付けがはっきりすることでしょう。

本書が触れていないこと

大国間のパワーバランスの変化や、シンギュラリティとの関連性については明確な記述を見つけられませんでした。とはいえ、これらのテーマは本書が示す世界観と切り離して議論するのは、もう難しいのかも知れません。すでに世界のリーダーは、国家や宗教を超えて、資本主義の行き着く先の未来をみつめ、その過程で今、何をするべきかを考えているのではないかと感じました。

変化を促進する側に立つことの不安定さと面白さ

資本主義がなくなるわけではなく、また、これからの移行を実現するために(一時的にせよ)発生する「人間の仕事」があります。今の10代、20代で起業家スピリットをもっている方には、このような視点をもって新ビジネスを提案するのはチャンスだと感じています。この変化を「とどめる」のではなく、「促進する」側に立つのは面白い挑戦になることでしょう。ただ、この起業方針は、金銭的な成功とは一線を画します。具体的には売上急増や株式公開、というストーリーではなく、社会を変えていこうという熱意をじわじわと広げていく活動の継続性に重点が置かれるようになります。大量雇用ではなく、想いを共有できる人たちが集まった組織というのは、大企業とは異なる理念で動きます。

多くの社会人予備軍の方にとっても、起業ではないものの、このような世界の変化を自分なりに解釈し、就職活動につなげることは大切だと感じました。私の娘も、あと数年もすると社会人です。親として(娘たちが)公務員になることや、大企業に就職することは特に希望していません。どこそこの会社は給料が高いとか休みが多いとか、そういう視点を切り離して、自身が社会とどう関わるかを考えてほしいと願っており、本書のような世界観を「可能性の一つ」として理解するのは視野を広げられるのではないかと思います。

これからの人材に求められること

改めて、グローバルに思考し、ローカルに実践できる人材が求められていると感じました。さまざまなルール、規範は世界で通用するものとなり、SNSを通して世界中の人と意見交換ができるようになっています。そして自分の才能や技能は、自身が属するローカルコミュニティで実践することで、コミュニティ内での評価につなげます。人生の価値はお金ではなく、所属するコミュニティへの愛着の深さや、従来の枠を超えたり意義を探求したりする度合いによって決まる、と自覚することが最初の一歩になるでしょう。教育体系や、大学のあり方も、新しい人材像にあわせて変わっていくのだろうと思います。