USP研究所の當仲社長とのユンタクを通した気付き

USP研究所は "No SQL" というキーワードが登場する以前から、テキストファイルを主体とした超大規模データ処理のノウハウを蓄積されている会社です。同社はまたシステムイニシアティブ研究会を立ち上げたことでも知られています。その當仲社長と先日、お話させていただく機会がありました。といっても仕事の話そっちのけで、人生観や社会の在り方など、幅広いユンタク(沖縄方言で「おしゃべり」)に終始するという、贅沢な時間を堪能したわけです。

2000年代に入り、日本だけでなく米国、欧州といった先進国の元気がありません。どう成長するかという方向性が打ち出せていないのです。その原因について意見交換する中で、一つの共通項を見つけました。それは

都市化によって快適さを享受した反面、見たくないものを排除するようになった。

という生活様式です。

戦後の日本は、まず「死」を日常世界から隔離しました。普段の生活で、死の匂いをあからさまに感じることはありません。病気や事故、戦争といったものもメディアを通して知る以上の体験はしないようになっています。

続いて「不条理」を排除しました。すべての事件には監督官庁が存在します。問題が起こると責任者が更迭されます。これは「何かに守られている」という安心感といえますが、誰かのせいにすることで問題を解決した気になるという脆さと一体です。

これがさらに進んで「失敗」を排除するようになりました。失敗とは自己のチャレンジによるものだけでなく、環境によって被ってしまったものさえも含まれます。たまたま福島にいて被爆してしまったという人に何の落ち度もありませんが、この人を避けてしまう、などが典型です。これは無知が生み出すというよりももっと本質的なもの - 自分の廻りから「失敗」の匂いを感じさせるものを排除したいという気持ちが原因です。

死、不条理、失敗。これを自身の生活空間から排除する動機は「恐れ」に起因します。恐れへの対処は昔から変わりません。それは「そうなったらなったで、しょうがない」と解釈することです。これは諦め(心を閉じる)ではなく、開き直りという態度による、あるがままの受け入れ(心を開く)です。開き直りの先に、チャンスや逆転の発想があります。

先進国に住む人は(私も含めて)気がつくと排除の論理で生きているのではないか。それは見せかけの安心感を得ることができますが、本質的には何の保証もなく、脆いものです。よって想定外の事象が起こると思考停止になりがちです。しかし日本ではバブル崩壊といわれる時期から今日に至るまで、毎年、想定外のことばかり起きています。そのたびに恐れを排除しようとして、社会全体が萎縮しているように見えます。

排除ではなく、寛容の精神で生活様式を再定義するとは、具体的にどういうことでしょうか。

一つの例として當仲社長と盛り上がった案は、賞味期限の撤廃です。いつ製造したかだけ表示し、個人個人で食べられるかどうかを判断する。昔は豆腐を購入するとき、かならず匂いをして大丈夫かどうか確認していました。今、そういうことをしている人はどれだけいらっしゃるのでしょう。これは「生きるチカラ」の一種だと思います。賞味期限というみかけ上の安心をなくすということだけでも今の日本では大変な議論になるでしょうが、ものごとを考え直す一つのきっかけになりそうです。

ところで沖縄には、この「しょうがない」を表現する方言で「ナンクルナイサ」という言葉があります。
これは「まぁ、いろいろ大変だけど、なんとかなるさ」という意味で、うまくいかない人を立ち直らせる魔法の言葉です。回りが皆、ニコニコして「ナンクルナイサ」というと、不思議と心が軽くなります。私の好きな言葉の一つです。

立ち往生している日本に沖縄ができることは、こういう視点を提供することかも知れません。健康な食材や芸能、スポーツで一目置かれている沖縄ですが、これを支える生活様式も見逃せません。(個人的には、このような様式も沖縄自身の都市化によって薄れつつあることが残念です。)

人生が計画通りにいかない時があります。それでも前向きさを失わないために、他者の失敗を受け入れ、排除でなく寛容さを意識して生きていくことができるか、が問われています。成功体験しかもたない人より、むしろ多くの失敗を乗り越えてきた人にこそ、人間の深みを感じることができます。この深みが、その人の地位や名誉やお金とは無関係なところが人生の醍醐味ともいえます。當仲社長にはそういう深みがあるなぁと感じます。

私の人生も、寿命80年と考えると折り返しを過ぎました。生きていくことがこうも大変なことかと日々、実感すると同時に、自分だけよければいいという発想では社会が持たないということも理解しました。ビジネスの視点でいえば、搾取や奪い合いの戦略ではなく、お客様と私たちがお互いの価値を認め合う戦略を重視するということです。奪い合いによる勝利は一時的には盛り上がるでしょうが、長く続きません。大きく儲けなくても、社会から必要とされる企業組織として根付かせたい。創業時はどちらかというと年齢の若さもあって「奪い合い上等!」と気合いが入っていましたが、今は「有意義な持続性」を念頭に、多くの雇用を生みつつ従業員が幸せになれるというビジネスモデルを見つけることができるかを模索しています。まだまだ道半ばですが、残りの人生で何らかの答えを見つけたいと思っています。