「新・所得倍増論」が示す経営者の意識改革というテーマはとても重要だと思う

丁寧な分析に基づいた説得力のある主張とは、こういうものだと感心しました。

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本書のいう「所得は倍増できる」根拠についてはネタバレになるので割愛しますが、その鍵となる「経営者の意識改革」について書いてみました。

前提:生産性が低いのは、IT を活用できていないから

本書でも述べられているように、所得倍増のためには生産性を向上させる必要があります。もちろん、その手段として IT の活用があります。もはや耳にタコですが、IT投資の効果を引き出すには、企業が組織のあり方、仕事のやり方を変更することが求められます。しかし私見では、1980年代のメインフレームからオフコン、そして1990年代のオープンシステム(クライアントサーバ型)から現在のクラウドコンピューティングに至る間、ITを導入しても生産性を高めることができたのかわからない、という組織が多いと感じています。著者のいうように、

この時期、ITを導入しても生産性が高まらなかったのは、ITを人の働き方に合わせて、いかに人を楽にさせるかに主眼があったからだと分析しています。ITを人の働き方に合わせるのではなく、人の働き方をITに合わせて変える必要があるのです。

という真っ当な指摘を、いまもって達成できていないということです。

本書では生産性向上を現場任せにするのではなく、経営者のリーダーシップの下、組織改革をしなければならないと主張しています。その根拠や重要性は本書をお読みいただくとして、では具体的にどうすればいいのか、という切り口で踏み込んでみます。

IT に疎い経営者、から決別しよう

そもそも IT に疎い、とはどういうことか。

「IT のことはわからないから...」といって逃げ腰になる姿勢が、「IT に疎い」という言葉からイメージできることです。

だからといって、誰も経営者にプログラムを書いてもらうとか、業務設計を担当してもらおうと思っているわけではないでしょう。IT 活用によって何の問題をどう解決し、5年後、10年後にはどういう組織になろうとしているのか、というビジョンを示してほしい、ということです。もちろん、経営者として「5年後には年商 xx 億円」とか「業界第 xx 位」「市場シェア xx パーセント」という数値目標を出していると思いますが、そのレベルでは IT 活用とのリンクが見えてこないはずです。

ここは目標をこう変えましょう。「社員一人あたりの売上高 xx 円」と「総売上高に占める付加価値を xx パーセントにまで引き上げる」と。これが IT に疎い経営者と決別する最初の一歩です。

なぜか。年商いくら、という目標は「量」ですが、社員一人あたりの売上高というのは「質」です。ITに疎い経営者は量を追いますが、ITを活用する経営者は質を求めます。経営者自らの目線を、量から質へ変える、ということです。

質を求めると、組織が変わる

少し話はそれますが、今、社会的な問題になっている残業時間の規制も、この量から質への転換を促すことになると思います。売上を増大させることは企業使命ですが、残業規制という圧力も同時にかかるなら、生産性を向上させるしかありません。生産性向上の結果として見える化された数値が「社員一人あたりの売上高」です。ようやく、社会全体でこのテーマに本気で取り組む雰囲気が醸成されつつあります。

質を求めるとは、なるべく時間をかけずに成果を出すことです。これを個々人の努力に委ねるには限界があります。組織的な「自動化」と、「限られた時間を、できるだけ業務に集中させる」環境づくりが必要です。IT を活用するという経営とは、この環境整備に積極的に投資するということです。

そうか、では我が社もいよいよ AI やロボットに投資を… というのは性急すぎます。その前に経営者が積極的に関わるべきことがあります。それが組織改革です。

執行役員を若返りさせるとか、時代にあった部署を新設するという視点も、わかります。しかしこれらの施策はまだ表層的です。そのレベルの話であれば、これまでも過去に何回となく、繰り返してきたのではないでしょうか。IT がわかるとは、「そもそも我が社で、ITを導入しても生産性が高まらなかったのは何故だったのか」を掘り下げるところから出発しないと改革の方向性が定まりません。

掘り下げるための具体的な手法は、国内で活躍されている IT コンサルタントの主張に委ねます。個々の企業によって異なる分析結果になるでしょうが、おそらくどの組織にも当てはまる、根の深い問題が浮き彫りになるはずです。ここで次のような例を紹介します。

ある部署で、手書き文字の伝票をいかに扱うかというテーマで IT 活用の議論がなされていました。機械による自動認識でデータ化できるのがベストですが、高い精度を求めるとコストがかかります。伝票を PDF で保存して、あとで検索できるようにするという次善策も協議されましたが、データとして活用するには難があります。ああだこうだと議論するうちに時は過ぎていきます。それだけ社員の時間をかけたにもかかわらず結果にはつながりませんでした。

そこでふと誰かが気づきました。この手書き文字の入力源はどこですか、と。それは隣の部署でした。では隣の部署はどうしているのですか、と尋ねると誰もわかりません。改めて伺ったところ、実は隣の部署では元データはすでにデジタルデータとして直接、別システムから取得できていました。しかしこれまでの慣例で、こちらに渡すときには手書きにしないといけないだろうということで、わざわざアルバイトを雇用して、手書き伝票を起こしていることがわかったのです。

これは私の作り話です。私が浮き彫りにしたかったことは、部署同士の連携は経営者が思っている以上にできていない可能性がある、ということです。その理由は主に「慣例は、ある種の制約として受け止める。」「制約の範囲内で最適化を目指す。」「他部署の業務に口を出してはいけない。」といった社内文化に起因します。慣例とは一種のルールです。現場ではルールの範囲内で最適解を目指すのが妥当と思い込みがちですが、IT活用とは、ルールの前提を把握し、場合によってはルールそのものを変えることを要求します。ではルールを変えてもよい、と判断するのは誰か。それが経営者です。

長くなりましたが、ITを活用できる経営者とは、組織の慣習を変えてでも生産性向上を優先する、ことを掲げる経営者である、というのが私の持論です。自らを「ITに疎い」と公言する経営者は、よくもわるくも現場に丸投げしており、売上目標に対する達成率で部下にプレッシャーをかけることが自分の仕事と解釈しています。それは量から質への転換点にあっては、残念ながら正しい解決とはいえません。

誤解がないように追記しますと、生産性向上を優先するとは、社員を解雇して「一人当たりの売上高」を見かけ上よくする、ことではありません。ルールを変えることに切り込む姿勢を指しています。それができるのは組織でただ一人、経営者だけです。経営者がその気になれば、IT 活用による生産性向上は大いに伸びしろがあります。

まとめ

私は、本書のいう「経営者に生産性を上げるようなプレッシャーをかける」という主張は、「私は IT に疎いから…」という経営姿勢では持たないですよ、と解釈しました。そう思えば色々と腑に落ちます。

著者は「日本には伸びしろがあり、これまで手をつけてこなかった生産性向上に本気で取り組めば未来は明るい」と力説されています。私も同意見です。一方で、生産性向上は組織改革を伴い、それは従来の慣習をゼロベースで見直すことですから、反対の声も上がるでしょう。この対応は経営者の力量が問われます。しかし決して不可能ではありません。不退転の決意で臨み、見事に「社員一人あたりの売上高」を向上させることができれば、結果として本書のいうように会社そのものの時価評価額が高まり、日本の GDP 向上に寄与すると思います。

そして「IT活用」という言葉が当たり前すぎて誰も口に出さなくなるような未来を目指して、私もできることを一つずつ、やっていこうと思います。