“強い組織” の定義は定まらないからこそ面白い

経営陣がいう ”強い組織” というものの中身は、経営者の数だけ存在します。しかし当の経営者自身は「俺の考える “強い組織” が、世間一般でいう常識」と思い込んでいるかもしれません。実際には同じ組織は一つとしてない、という多様性を生んでいるわけですから、いいことなのですが。ただし経営者は「強い組織を目指す」というスローガンを掲げるだけでは部下にとって受け取り方が様々すぎて、これで「俺の言っていることが伝わらない」というのは言葉が足りないのだ、ということは気づく必要があるのでしょう。俺の考えている強い組織とはこうだ、という具体的な内容を示してはじめて組織ができあがっていくはずです。

ということで私自身が現時点で考えている「強い組織」とはどういうものか、をまとめてみました。これは一般論ではなく、あくまでも私が考えていること、です。

時間にルーズではない、こと

定時に勤務して、定時に帰社する。当たり前のことを当たり前にやる、というのが強い組織づくりの一丁目一番地というのが私の考えです。別の表現をすれば、ウルトラCの大技を連発できたとしても時間にルーズなチームは、一時的には好調な業績になるかもしれませんが、組織として(つまり会社として)永続しないと考えています。そして勤務時間を守るという小さな一歩が、何事も自分の中で遵守すべきルールがある、ということを体で理解することつながり、これが職業倫理の土台を形成すると考えています。

なぜこれを最重要に掲げるのか。ここをないがしろにすると、これを起点として社内のさまざまなゆがみが生じる、というのが私の持論だからとしか言いようがありません。

もう少し丁寧にいうと、1秒遅れたから目くじらをたて、社員を恐怖政治で管理する…という意図ではありません。大切なのは「リズム」です。まずリズムがあって、それにあわせて個々のライフサイクルをつくっていく、ということが、結果的に「当社に長く勤めてもらう」ための土台になると考えています。ライフサイクルの管理は行き過ぎではないか、という意見はもちろんわかります。このバランスは私も悩みながら試行錯誤していますが、今の時点では、個々人のライフサイクルの大前提は会社の勤務時間(定時出勤と定時退社)を基本として組み立ててもらうことが、結果的によいリズムを生じさせるという考えに至っています。

なお最近のオフィスレス、という考えにも肯定的ですが、その大前提は時間にルーズではないこと、は変わりません。そこができない人は、自宅勤務ではますますリズムが狂ってしまい、かえって心身の不調につながることを懸念します。

信賞必罰に徹すること

誰がみても「彼(彼女)はここでいい仕事をした」と思われるときは褒める。彼(彼女)のこのエラーによってお客様(または同僚)に迷惑をかけたときには注意する。これをできるだけリアルタイムで行うことで、個々の社員が自分の頭で考える = 自律のための好循環サイクルをつくりだしたい、ということです。

褒めなさすぎもダメで、褒めすぎもダメ。注意せず放置することもダメで、かといって叱責もダメ。本当に難しいところですが、ここで手を抜くと組織は崩れるというのが私の持論です。

最近のトレンドで「忖度」という言葉がありますが、私自身はこの忖度文化は肯定的です。忖度できるスタッフに囲まれた経営者というのは幸せであり、強い組織のゴールといえます。

問題は、その忖度の方向性です。それが経営者を庇うものであれば、結果的に組織は淀んでしまい、社会の変化に適応できなくなります。それは強い組織ではない、と考えています。

イエスマンで固めないこと

別の表現をすれば、経営者と社員は信頼関係を重視するが、主従関係ではないようにすること。社員は何かの判断を行うとき、上司である経営者個人の利得ではなく、組織全体の利得を優先できるようにすること、でしょうか。組織全体の利得とは、組織が永続できることと言い換えることもできます。現経営者をかばって組織そのものが沈むようなら、それは強い組織ではない、と考えています。

まとめ:緊張感、自律、永続性

こう書いていくと、私の経営哲学というのは、社員に長く勤めてもらうよう(片方ではなく)双方が努力を続け、お互いが一定の信頼と緊張感を保つという絶妙なバランスを意識しながら、社員自らが組織の永続のためにやるべきことを自律的に行っていくことを実現したいのだと改めて気付かされます。

繰り返しになりますが経営方針というのは社長が決めるものなので、私がそう決めた、というだけです。そこに正しいも間違いもありません。ただすべての組織はそういうものであり、すべては社長次第というのも、そういうことなのだろうなぁと納得しています。部下のせいではない、環境のせいではない、社長次第、ということです。

もう少しこの視点を拡げると、組織によって(もしくは定期的に変わる組織の長の方針によって)強い組織の意味付けが変わるのですから、その方針次第で業務プロセスに影響があっても不思議ではありません。しかし現実には業務プロセスを変えようとしても、それを支えるエンタープライズアプリケーションが変更できないので業務プロセスも変えられない…これが経営者の不満の根源のように思えます。アジャイルな経営には、アジャイルに対応できるエンタープライズアプリケーションがどうしても必要で、そのためには内製開発が一番よい、という私の発想は、このあたりでつながっているようです。