戦前の軍部の運営を知るほど、今と何も変わっていないことに驚く

8月には戦争に関する自身の思いを書くようにしています。今年取り上げるのはこちらの記事。2018年の内容ですがWebページが残っていることに感謝です。

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10代や20代であれば、この記事を読んで「だから昔はダメなんだ」と(単純に)憤ることができました。怒りをストレートに表現できるのは若者の特権!しかし50代の現在、あらためてこの記事を読むと怖くなります。今の時代、いくらでもこの手の話はあるでしょうし、何より、自分がそういう組織の一員だったとして、それを止められるかと問われると、止められると言い切れないためです。

本当に沈んだのか、沈んだ艦は戦艦なのか、駆逐艦なのかを判別するのは、熟練度が高い搭乗員でも簡単ではないのだ。

誤った報告は鵜呑うのみにされ、そのまま発表されていった。

おそらく搭乗員には目標が告げられており、それを必達とされていたことでしょう。上司の無理なノルマ要求に応えなければという気持ちもあったはずです。

大本営発表は軍の最高の発表文で、起案された文書は主要な部署すべてのハンコがなくては発表できない。

他の部署は作戦部を快く思わず、何かにつけていがみあっていたから、すべてのハンコをそろえるのは大変な作業だった。

どの部署もハンコをなかなか押さなくなった。「そのまま発表すれば国民の士気が下がる」というのは建前にすぎず、「敗北を認めると、その責任を負わされかねない」というのが本音だった。

報道部はハンコが早くもらえるように、戦果をさらに水増しし、味方の損害を減らした発表文を起案するようになった。

当時と2023年現在の何が違うのでしょう。ワークフローが電子化されたことなど、瑣末なことにすぎません。そして末期症状として

昭和18年(1943年)には、ごまかしが戦果以外にも及ぶようになる。ガダルカナル島からの撤退は「転進」に、アッツ島の守備隊全滅は「玉砕」に言い換えられ、大本営の作戦や補給の失敗は不問とされた。

に至るのも、さもありなん、です。現在だと生成AIを悪用?すればいくらでも美辞麗句がでてきそうです。
ちなみにこの件でトップからの明確な隠蔽指示がない、ことも現代の社会構造と類似しています。

太平洋戦争を首相として主導した東条英機(1884~1948)は、大本営発表の内容については電話で数回要望を伝えてきただけで、「敗北を隠せ」といった指示はしていない。

戦争は二度と起こさない、という仕組みづくりの話

敗戦から当時の日本国民は多くを学んだともいえますが、しかし根本的なことに手をつけていないようにみえます。終戦記念日の前後にはメディアがこぞって特集を組みますが、戦争体験者の語りが少なくなりつつある中で、これまでのように “戦争に反対です” だけではなく、改めて「敗戦を受けて、今なら(同じような失敗を)防ぐことができるような組織を作り上げているのか?」を自問してもよいと思います。

私自身、答えをもっているわけではないのですが、上層部の無理な要求から、それを忖度する風土が出来上がる、という社会構造は人間のもってうまれた性(サガ)なので、忖度をやめましょう、という掛け声では何も変わらないと知っています。別の視点からのアプローチが必要でしょう。例えばこちらの記事です。

project.nikkeibp.co.jp

asahi.com

中期計画を廃止し、長期ビジョンと決算短信で組織を活性化するというのは、一つの経営判断です。どの会社もそうすべきということではありませんが、トップの考え方一つで組織は変わりうるという事例です。

当時の軍上層部の組織運営をただ批判するのではなく、例えば IT を駆使して、このような組織運営を未然に防ぐことができるのか、そういう視点で考え抜く機会は、なかなかありません。このようなテーマは、上流設計を担うエンジニアが意識してよいことでしょうか。それともシステム設計を逸脱する余計な思想・哲学でしょうか。

当時、悔しくとも戦後の未来を信じて亡くなったであろう人たちに対して、二度とあのような悲惨な戦争は起こしませんと誓ったはずなのですが、気持ちだけでなく、その仕組みづくりをちゃんとできているのかと問われると、実は出発点にさえ立っていないのではないかと思うところです。